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2014年4月3日木曜日

物書きと”分かった問題”

 
 文章を書く時に一番大事なのは何か?
 
 読み手のことを考える
 
 これは鉄則である
 
 鉄則ではある
 
 鉄則ではあるのだが....
 
 ∧∧
(‥ )問題はその読み手とは
\‐  一体なんだろう?
    そこですかね
 
  (‥ )読み手のことを考える
      それはつまり
      考えられた読み手
      という意味でもある
 
 考えられた読み手、それはつまり仮想的なもので、バーチャルだ。実在するわけではない。
 
 悪い言い方をすると、書き手は、自分が勝手に想像した”架空読者”のことを考えているにすぎない、とも言える。
 
 ∧∧
( ‥)シャーロック・ホームズ
    でしたか
    ワトソン氏曰く
    ホームズは愚か者の思考も
    再現して
    その愚かな行動も予測すると
 
  ( ‥)これは可能であるように
    ‐□ 見えて
      かなり困難なことだと
      思うのだけどね
 
 実際、世の中の炎上案件は、全く想像もしなかった愚かしい行動で一杯で、それに驚いた人々が激怒しているのだ。
 
 炎上という案件は、僕らの理解は僕ら自身にすら及ばないことを示している。考えてみれば当たり前だ。僕らは僕ら自身の一部でしかない。部分集合は全体集合ではないのだ。
 
 ∧∧
( ‥)部分も個人も全体ではない
    では、
    書き手が考えた架空読者は
    現実の読者とどう対応して
    いるのか?
 
  (‥ )これが微妙でな
      読者と金を払う客が
      ずれている場合すら
      あるのでね
 
 読者が本を買う、と信じ込んでいる人も多いが、実際にはそうとは限らない。現実には、読者≠購買者、である。つまり、実際に本を読む読者ではなく、金を払う客がどう思うのかを考えないと書き手としてやっていけない、ということもありうるのだ。
 

 さらにもうひとつ問題がある
 
 読み手のことを考える。それはつまり読み手が分かりやすい、と思える文章を書かねばならない。そういうことなのだが
 
 ∧∧
( ‥)いつもの”分かった”問題だね
 
  ( ‥)んー ここで最近遭遇した
    ‐□ 深刻な話をしようか


 
 先日、古本屋でかつて一緒に仕事もしたことがある物書きさんの本を手にした。
 
 そこにはこう書いてあった
 
 ライオンはシマウマを捕まえて食べる。一方、シマウマはライオンよりも足が速い。ダーウィンの自然淘汰説に基づけば、足の遅いシマウマはライオンに食べられて姿を消し、足の速い個体が生き残って、シマウマは足が速くなったことになる。だがこれはおかしい。説明が明らかに不十分である。なぜなら、自然淘汰説に従えば、シマウマの足が速くなれば、それを食べるライオンもシマウマに追いつけるように進化するはずだからだ。しかしそうではない。しかも、ライオンは足の遅い年老いたシマウマや病気のシマウマを狙うのだ。足の速い個体を狙っているわけではない。つまり自然淘汰説は間違っているのである。
 
 1992年の本だった。
 
 実はこれと同じことをネットで書いている人が以前からいて、一体全体どこからこんなアイデアを持ってきたのだろう? と不思議だったのだが...
 
 ∧∧
(‥ )多分、この人のこの本から
\‐  アイデアを持ってきたの
    でしょうね
 
  (‥ )やれやれだね
      犯人と会っていたとはな
 
 もちろん、以上の論は間違いである。以上の論は逃げるシマウマと追いかけるライオンには走ることに関して同じ自然淘汰がかかっているはずだ、という想定がある。
 
 ∧∧
( ‥)でも残念、そこが間違いですと
 
  ( ‥)昼飯になる立場と
    ‐□ 昼飯を抜くはめになる
      かもしれない立場
      このふたつが同じ重みに
      なるわけがないからね
 
 失敗したらご飯にされてしまうシマウマと、失敗するのは残念だが別な奴を狙えば良いライオンとでは、かかってくる自然淘汰が同じわけがない。前提が同じでない以上、先の論もまた自動的に間違いとなる。ようするに、この条件において、肉食動物が草食動物と同じぐらい足が速くなる道理はどこにもないのだ。
 
 ちなみにこの話、つまり肉食動物と草食動物の足の速さの不均衡は実のところ進化学の教科書的な本でも出てくる話題でもある。
 
 ∧∧
(‥ )ようするに先の
\‐  ライターさんは
    進化学の本を
    読んだ事がないのだと
 
  (‥ )まあ、読む読まないは
      この際、置いておくとして
 
 問題はである。
 
 自然淘汰で進化が起こるのなら、ライオンはシマウマと同様に速く走れるように進化するはずである。だがそうはなっていない、だから自然淘汰は間違いである。
 
 この間違っている文章を読んで、そうか! と”分かってしまった読者”がいたということがここでは重要だ。
 
 ∧∧
( ‥)つまり以上の間違った文章は
    読み手の事を考えた文章
    でもある
 
  (‥ )書き手も読み手も
      分かりやすい勘違いを
      共有できるように
      書いて、
      そして読んでしまった
      そういう例なのだよね
 
 書き手側が読み手のことを考えたことは明らかだろう。
 
 読み手側が、これは分かりやすい、と考えて、分かってしまったことも明らかだろう。
 
 物書きは読み手のことを考える。そうすれば文章を書く仕事をすることができる。それは正しいのだ。
 
 問題があるとしたら、嘘と勘違いと誤解を振りまくことを除外していない、そこにある。
 
 そればかりではない。
 
 読み手のことを考えて書け、とは、勘違いを禁止するどころか、むしろ推奨するはずだ。少なくとも、読み手が分かるように書け、とはそういうことである。
 
 ∧∧
(‥ )分かりやすい勘違いは
\‐  分かりやすいですからね
 
  (‥ )分かったは正しいではない
      そんなことは誰でも
      知っているはずなんだがな
      そこを誰もが
      突かれてしまうのだ
      あるいはそこから
      心の浸食が始まるとでも
      言えばいいかな
 
 もちろん、物書きはそれで良いのだ。
 
 読み手のことを考える。文章を書く仕事をする。そうすればそれで生活ができる。
 
 本来、それで良いはずなのだ。
 
 ただ、ここには嘘や大袈裟、勘違い、間違い、誤解を書いてはならない。それで生計を立ててはならない、そういう間違った情報で人の命を奪うようなことがあってはならない、そのような金儲けは許されるべきではない。こういった禁止事項は一切含まれていない。
 
 そして、物書きの立場にもよるが、これが遅かれ早かれ問題として浮上してくる。
 
 
 
   

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