自己紹介

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2013年9月16日月曜日

コメントは脳を展開する行為なり

 
 tumblrは情報の抜粋だ。
 
 例えば抜粋で次のように曰く、
 
 ネットでは情報がただで読める。しかし、無料で読める情報はやはり無料な情報でしかない。子供には本で調べさせたい。
 
 この意見を否定した上でコメントが曰く。
 
 本はこれこれな理由でネットより優れている。そう考えているのであろう。だが、その意見はくずだと思う。
 
 ∧∧
(‥ )ところが引用先の原文を
\‐   読むと、
     そんな推論を
     するまでもなく、
     子供にはこういう理由で
     本で調べさせたい、
     まずネットで調べたこと
     それでもなお
     ネットだけでなく本も
     使わせたいその理由と
     根拠と動機がすべて
     きちんと明言されている
 
  (‥ )明言があるのに
      推論を述べる。
      つまり、コメントさんは
      抜粋だけ読んで、
      詳細を確認しないまま
      反対、否定した
      そういうことだよな?

 
 いや、その、まあ、なんだ、原文が申し述べていることは、まさにそういうことをしないように子供を育てるにはどうすれば良いのか、という話なのであって、このコメントは...。
 
 ∧∧
(‥ )原文には追記の部分が
\‐  あるけども、
    日付から考えると
    コメントさんが原文を
    読まないまま
    書いてしまったのは
    ほぼ確実ですかねえ...
 
 (‥ )少なくともあれな、
     ”あなた、原文をきちんと
     読んでいないでしょう?”と
     言われたら、
     反論は難しいだろうね。
 
 tumblrはコメントをつけられるが、つけない場合の方が圧倒的に多く、しばしばそこをこそ評価される。気に入った言葉や絵画や詩や雰囲気を引用する。それはすでに無言の意思表示であって、しかし、言葉がないから静かで雑音が少ないものだ。

 だからなのだろう。
 
 黙々とreblogすれば良いのに、なんで余計なコメントをつけるんだよ?? 
 
 と言う意見もたまに見る。
 
 ∧∧
( ‥)reblogする。それ自体が
    すでに意思表示であるから
    reblogした以上の、いかなる
    コメントが必要なりや?
 
  (‥ )コメントをつけたい、
      コメントが必要だ、
      そう思う、
      そうしたい状況は
      いくらでも想像できるが
      引用した時点ですでに
      お前自身は意思を
      述べたではないか、
      それ以上の何が必要だと
      言うのか?
      そう問われたら、それは
      確かにそうだからね
 
 最低限、あれだ、reblogに限らないが、言語化されたコメントはかなり自分の手の内をさらすことになるので、慎重にならないといけない。さらした以上、それは相手に自分の脳内を覗き見られることと同じなのだ。そういうことは言えるだろう。
 
 そうなのだ、実はそもそも人間のおしゃべりは、自分の脳を相手に展開することと同じで、これこそ、我々が巨大な脳を持つ理由である、という意見もある。これは意外と正しい意見なのではないかと個人的には思うけども、事実だとすればかなり深刻な話なのだ。
 
 ともあれ、
 
 ∧∧
( ‥)無料で読める情報は
    所詮はタダの情報である
 
  (‥ )少なくともあれだ、
      すべての情報は
       等価ではない。
       金銭を用いて
       表示すれば
       高い、安いがある。
       これ自体は事実。

 
 ∧∧
( ‥)それでもなお、
    仮にすべての情報の価値が
    無料だとする
 
  (‥ )”重量”がない状態、
      つまり無重量状態で
      浮かんでいるような
      状況だな。
 
 この状況で情報は等価であるか?
 
 ∧∧
( ‥)ありえませんね、
    近い、遠いがある
 
  ( ‥) googleの1ページ目、
    ‐/ 2ページ目、
       10ページ、
       100ページ、
 
 情報の分布に奥行きがある以上、等価ではない。
 
 では同じ距離にある情報なら等価であるか?
 
 ∧∧
( ‥)ありえませんね
    情報を把握し、理解するには
    コストがかかる
 
  (‥ )つまり情報が無料でも
      金銭の消費はどうしても
      発生するのだ
  
 情報自体が仮に無料であっても、情報が無料になることはあり得ない。
  
 例えば学校の授業は高コストだ。授業料とかの話じゃない。脳をいくら使ってもよく分からない。カロリーをどんどん消費し、時間があっという間に費やされていく。これらのコストは当然、金に換算できるし、事実、金を使わないと回復できない。このように、一部の情報は恐ろしく高コストなのだ。こんなこと、考えればすぐ分かるはずなんだが、人間は学校のいまわしい記憶、自分は出来が悪いのだ、というおぞましい経験をやたらと無視したがる。
 
 ∧∧
( ‥)でも、こうした、
    理解に関係するコストを
    下げることは可能であると
 
  (‥ )理解しやすい情報を
      集めれば、可能な限り
      低コストで膨大な情報を
      集められる。
      ネットはこれがしやすい
      便利さの裏返しだよね
 
 そしてこれは、コストが安くすむ情報が、ある領域に集まってくる、ということを示している。例えばの話、自分や友人の本棚を見ればそれはすぐに分かる。学校が関係しないと自分がどうなってしまうか? それを思い出せばいい。まるで見たくもない素顔を見るようではないか。
 
 ∧∧
( ‥)つまり、無料の情報を
    集める人の周囲には
    コストの安い情報が
    集中してくる。
    情報はタダではない。
    しかし、
    タダではないからこそ
    タダの領域が分離して
    しまう。
 
  (‥ )問題はさ、
      コストのかからない
      分かりやすい情報って
      大雑把すぎて
      役に立たなかったり、
      あるいは
      間違いだらけだったり
      することなんだよね
 
 おまけに、タダの情報はタダの情報をお互いにリンクして、広大だがほとんど出口がない網目状の迷宮を作っている。これがいやなら、自分の周りにある、無料で美しいが、ゴミくずだらけの壁を無理矢理突破するしかない。
 
 ∧∧
(‥ )でもそれにはコストがかかる
\‐
 
  (‥ )子供にネットだけでなく
      本を使った調べものを
      させようってのは
      こういう体力をつけさせる
      ためのトレーニングだと
      考えるべきだろうな
 
 ネットで論文も読めるし、通販もできるし、本を読むのにだってamazonを使う。
 
 ∧∧
( ‥)でもネットが取りこぼした
    論文や書籍の情報や
    古本や図書館の隅にしか
    ない紙情報も圧倒的にある
 
  (‥ )ネットってのはよく
      整備された高速道路網の
      ようなものだよな。
      どこにでもいけるが、
      どこにもいけない。
 
 そして高速道路から降りて、自転車に乗って探しにいける奴は、降りれない人間よりもその点で有利になる。ただ、それには体力が必要で、やったことがない人間は車窓から世界のすべてを知ったと満足するのみ。

 
 ちなみに
      
 ∧∧
( ‥)あなたとしてはどう?
 
  (‥ )ネットで見る事が
      出来ない論文を
      引用して情報を売る。
      そういう商売を
      している以上、
      タダの情報は概して
      無価値だよ、というのは
      まったくの事実かな。
 
 
      

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