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2013年8月15日木曜日

仏教徒もまた啓典の民

 
 
 タリバンに撃たれた少女、国連で演説
 
 ∧∧
(‥ )先月7月12日のことですか
\‐   パキスタン出身のマララさん
     ですね
 
  (‥ )なんか演説の抜粋を
      ネットとかtumblrで見てね
      念頭にひっかかっていたの
      だけども
 
 This is the compassion I have learned from Mohamed, the prophet of mercy, Jesus Christ and Lord Buddha.
 
 この慈愛の心を、私はムハンマド、そして慈悲深き預言者イエス・キリスト、ブッダから学びました。
 
 以下のyoutubeだとちょうど7分の時点からがこの部分
 =>BBC News - Malala Yousafzai speech in full - YouTube
 
 ∧∧
(‥ )Lord Buddhaって
\‐   どういう意味でしょうね?
 
  (‥ )ブッダは王族だったから
      ブッダ王と言っているの
      じゃないか?
 
 まあ、ブッダ王というのはともかくとして
 
 以上、この一文を奇異に、あるいは感慨深く受け取った日本人がいたらしい。
 
 例えば、本当の宗教者は他の宗教にも敬意を払うのだ。
 
 あるいは曰く、キリスト教の平和の心をこそ、このイスラム教徒は評価している
 
 ∧∧
( ‥)あなたとしては?
 
  (‥ )ああ、イスラム教徒の人に
      とって、やっぱり、
      イエスもブッダも
      預言者なのだな、
      という感想だよな。
 
 イスラームといっても広い。環境も場所も民族も言語も国も共同体も違っている。だから全部がどこでも同じなわけはないだろうけども。
 
 ∧∧
(‥ )少なくとも、大征服を
\‐  成し遂げたイスラームは
    征服したその地の宗教を
    いわば二級市民として
    扱ったわけですよね
 
  (‥ )こういう表現をすると
      すさまじい暴虐に
      聞こえるけども。
 
 イスラームの人々にとって、イエスは当然として、ブッダもまた預言者の一人であった。
 
 アダム、ダビデ、モーゼ、ブッダ、ゾロアスター、イエス、そしてムハンマド、いずれも連綿と連なる預言者たち、すなわち神から言葉と啓示を与えられた人々。
 
 ∧∧
( ‥)最後の預言者ムハンマドで
    啓示は完成されたが、
    それ以前の預言者も
    また等しく敬意を
    払われるべき人々である
 
  ( ‥)だから仏教も
    ‐□ キリスト教も
      ユダヤ教も、
      下位ではあるけども
      イスラームの支配に
      そのまま組み込まれる
      存在だったのだよね。
 
 考えてみれば現代社会でも、外国人や国籍を取得していない人は、なんだかんだいって二級市民である。それを考えるとこれはそんなおかしな話ではない。イスラームがひとつの共同体だというのなら余計にそうだろう。
 
 とっ、言う話は前から本で読んでいたけども、ある日、あちらから来た人と話をしていたら、ブッダも預言者である、と彼は言っていた。
 
 ∧∧
( ‥)つまり本で書かれていた
    ことは正しかった。
    イスラームの人々、
    つまりムスリムにとって
    ブッダもイエスもまた
    ムハンマドに連なる
    偉大な預言者である。
    少なくとも彼らは
    そう考える。
 
  ( ‥)このマララさんという人も
    ‐□ そういう世界観の持ち主
      なのかもね。
      少なくともそう見えるよね
 
 預言者ムハンマドは、イエスは預言者であり、自分はそれに連なり、そして最後となる預言者である、そう述べたのだから、イスラーム教徒にとってこの発想はむしろ当然、正統なんだろう。
 
 *言い換えると、本当の宗教者は他の宗教にも敬意を払う、とか、イエスの慈悲をこそ、この少女は評価したのだ、というのは、あまり正確な解釈ではないってことになる。少なくとも前者はともかく、後者は勘違いもはなはだしいだろう。
 
ただ、prophet、という表現は気になるところ。
 
 ∧∧
( ‥)まあ、一応、これも
    預言者って訳されるけど
    むしろ”予言者”ですよね
 
  (‥ )預言は神からの言葉を
      預かる。
      予言は未来を
      予め(あらかじめ)言う、
      意味がずいぶんと
      違うんだよな。
 
 多分、メッセンジャーと言った方が、むしろいいのかもしれない。神の言葉を預かるとはそういうことだ。
 
 ∧∧
(‥ )ともあれ、印象的ですよね
\‐   イスラーム教徒のすべてが
     そういう発想をするわけでは
     ないかもしれないけど、
     あなたが会って話をした人、
     このマララさん、どちらも
     ブッダを予言者とみなし、
     そしてどちらもほぼ同じ
     地域出身ですよね
 
  (‥ )イスラームがイランを
      越えて大征服を行い、
      さらにイスラーム化した
      トルコ人、モンゴル人が
      インドを征服した時、
      少なくとも当地の
      イスラーム教徒の人々は
      仏教徒も啓典の民と
      みなしたってこと
      なのだろうな。
 
 イスラームにはカフィール、つまり異教徒、無明の民、という言葉がある。
 
 あいつらはカフィールなんだ。そうタリバーンのことを話す彼に、
 
 「えっ? カフィールって僕らのことじゃないの?」
 
 と言った時、彼は次のように返した。
 
 「君らはカフィールじゃない。ブッダは預言者であった。だがタリバーンはカフィールだ!」
 
 ∧∧
( ‥)もちろん、日本人や
    仏教徒をカフィールと呼ぶ
    ムスリムの人もいるのでしょう
    けどもね
 
  (‥ )だが少なくとも彼にとって
      日本人や仏教徒は
      カフィールではなかった
      そうではなく、
      タリバーンこそ
      カフィールだと怒った
      わけだね。
 
 その時に使われたカフィールという言葉は、異教徒なんていう使い方ではなかったと思う。タリバーンはムスリムだが真のムスリムではない、という言い方でもなかった。無明の民という言葉から感じる、どこかダークヒーローを思わせるようなものでもなかったし、ムスリムの世界における魔人や悪鬼、悪霊に該当する霊的な存在、つまりジーニーでもない。
 
 あのカフィールという言葉は、血塗られた悪魔、という言葉に多分、近い。
 
 
 
 

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