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2013年3月24日日曜日

科学は自立して走る現象で、理念ではない

 
 
 ∧∧
( ‥)どう思います?
 
  ( ‥)まあ、あれね、科学が
    –/ 真理を追求する学問だ
       というのは
       間違いだろうね
 
 ∧∧
( ‥)過去においては神が作った
    この世界の有様を解き明かす、
    そういう使命や目的を持った
    時期もあったのですけどね
 
  (‥ )でも結局はそれを放棄して
       しまっただろ?
 
 科学とは、仮説を提案し、それを経験から検証する動作。だとするのなら、
 
 ∧∧
( ‥)経験と検証は神を肯定しない
    そういうことですね。
 
  (‥ )否定もしないが肯定もせん
      同様に真理も肯定しない
 
 どれが真理か? それを見極める絶対の手段がない以上、科学が真理を追求する学問だ、というのは致命的に誤りだ。あるいはこう、非現実的。
 
 ∧∧
( ‥)というか、科学は真理を
    追求する学問だ、と主張しても
 
  (‥ )原理的に不可能なのだ。
 
 考えてみれば当たり前なんである。経験は論理的に正当化できない。
 
 例えば、昨日の経験が明日を予想する。それは良いが、これを論理的に論証できるか?
 
 ∧∧
( ‥)無理ですね。
    昨日は今日でもないし、
    明日でもないですからね
 
  (‥ )初歩的に三段論法で
      考えてみれば明らかだ。
 
:AはBである
:BはCである
:ゆえにAはCである
 
 ∧∧
( ‥)しかし、
    昨日は今日ではなく
    今日は明日でもない
 
  (‥ )三段論法が成り立たん。
 
:昨日は今日である
:今日は明日である
:ゆえに昨日の経験は明日も有効だろう

これは成り立たない。
  
 三段論法が成立しないから、すべからく論理的に正当化できない、と主張するのはナイーブすぎるにしても、まあ単純にいうとこういうことなのだ。
 
 昨日は明日を論理的に正当化できない。
 
 ∧∧
( ‥)100万の日の出を見た
    からといって、101万回目の
    日の出を正当化できるわけでは
    ない。
 
  (‥ )ざっくり言ってしまえばだ、
      経験は論理的には正当化
      できないのだ。
 
 つまるところ科学が真理を追求する学問だなどと、それは嘘っぱちだ。
 
 *ちなみに物理法則から未来を演繹できる、という人はありがちだけども、これもまた正当化になっていない。物理法則は経験から導いたものであることを考えれば、これは明らか(論理を使った予測は論理だけでは成り立っていない、という意味)。
 
 ∧∧
(‥ )科学の仮説も、
\–   取りあえずこれと設定したの
     だから、それは宗教と同じ
 
  (‥ )じゃあ、宗教の神は仮説で
      ご本尊は仮のもの
      なのかい?
 
 
 それはおかしいだろう。
 
 
 ∧∧
( ‥)これと設定した、その共通項
    だけを抜き出すからおかしく
    なるんでしょうね
 
  (‥ )男だから
      隆くんも一郎くんも同じ、
      と言っているような
      もんだからな。
 
 宗教は神を真理と信じているものだ。
 
 だが科学は真理を論証できない、そういうものだ
 
 ∧∧
( ‥)相違点を抜き出すと、
    どえらい違い
 
  (‥ )共通項だけ見ると
      色々なものが
      識別不可能に
      なっちまうからな
 
 実際、人の営み、という点に注目すると宗教と科学とカレー造りは区別できなくなる。
 
 
 ∧∧
(‥ )科学はもっと一般人と仲良く
\–   するべき、そうしないと
     都合の良いニセ科学に
     つけ込まれるよ、
     という問題提起。
 
  (‥ )別につけこまれたって
      いいんだよ。
 
 この宇宙は地獄のような場所でルールがある。失敗したら死ね、だ。
 
 
 ∧∧
( ‥)ニセ科学や、あるいは
   「二番じゃいけないんですかー」
    を選ぶ自由はある
 
  (‥ )選んでいいんだよ。
 
 ただし、その道を選んで、それが他国による奴隷化や死を意味するものであった時は、奴隷として酷使されて死ね、それだけの話だ。
 
 
 ホメオパシーを選んでも良い。だが、失敗したら死ね。

 巨大技術を仕分けても良い。だが、失敗したら奴隷化されろ。低賃労働者として極貧の中で死ね。

 海洋の大深度掘削が可能な船を仕分けても良い。だが、その結果、自国の領土と資源と技術を維持できなくなったら、その責任を取れ。
 
 それだけの話だ。難しいことじゃない。
 
 
 ∧∧
( ‥)なんの権利があって死ねと
    言うのか?
 
  ( ‥)権利ではない。この世界の
      原理だ。

 
 自分の人生を考えてみるがいい。この世界が良いものであった試しがあったか? そもそもおぞましい世界だから調子の良いバラ色の夢を見せる詐欺師や政治家やニセ科学とやらに手をのばしたのではなかったか?
 
 お前の選択肢、それそのものが、この世が絶望的だということを示している。
 
 
 ∧∧
( ‥)この世界は地獄だと。
 
  (‥ )地球は奇跡の星だとか
      そういうたわ言を信じる
      からいかんのだ。
 
 見渡してみればいい。どこもかしこも死、それのみじゃないか。圧倒的に死が卓越している。
 
 ∧∧
( ‥)つまり、この宇宙では
    死こそがあるべき姿
 
  (‥ )生きているとは不自然な
      現象なのだ。いや、
      安定的ではない、
      というのが
      より正確だよね。
 
 だからほら、「ああ、オレは良くやった。だからここでいいや」そう思って腰を落ち着けた時、何が起きた? そのことを思い出してみればいい。
 
 
 ∧∧
( ‥)腰を落ち着けた場所に
    いられないんですよね、
    いつのまにかずるずる
    落っこちている。
 
  ( ‥)生が不安定だというなら
      これは必然的な結果だよ
      絶え間なく走り続けて
      いないと、状態も地位も
      姿も場所もすべて劣化する
 
 下りエスカレーターを歩いて登るようなもんである。歩き続けなければいけない。
 
 考えて見れば当たり前。死こそが本来の姿なら、ちょっとエネルギーの注入や投資を怠れば安定状態である死へと変質するのは当然だ。
 
 生はこの宇宙の環境では不安定だ。まるで高温高圧でこそ安定だった鉱物が、地上では不安定となって崩壊していくように、努力を傾注しないと現状すら維持できず劣化する。
 
 周りを見回してご覧よ。なすすべもなく劣化していった生ける屍がごろごろしているじゃないか。思い出してみればいい。自分の記憶の中にいたあの人、この人、あいつや、こいつ、皆、どうなった?
 
 
 ∧∧
( ‥)走り続けなければ存続も
    できない、それがこの宇宙
 
  (‥ )この世界は地獄なり。
      宗教が天国を想定するのは
      そもそもなぜだ?
      それはこの世界が
      地獄だからだ。
      そうじゃないかね?
  
 だとしたら現世において科学が存在する意義は単純明快である。いや、意義なんてないのだ。原理だけしかない。
 
 生き残りたかったら科学を維持しろ。死にたかったら別の道へまろび落ちれば良い。
 
 ∧∧
( ‥)ニセ科学も仕分けも選ぶ自由は
    ありますよ、と
 
  (‥ )単にそういう連中は
      消えていくだけさ。
 
 1世代あたり1パーセントの不利益でも、時間はまるで腐食剤の様に人を浸食してしまう。ならば走り続けるしかないではないか。いや、立ち止まる人もいるだろう。しかし、そうした人は次々に呑まれて、
 
 ∧∧
( ‥)後は血を吐きながら
    走り続ける人々だけに
    なりました
 
  (‥ )死ぬ可能性を増大する自由
      より不幸になる自由、
      それは誰でも持っている。
      しかし生き延びた人々が
      手にしている道具は
      有意に科学だろう
      それだけの話だよね。
 
 科学は理念じゃない。現象だ。その背景にはこの底意地の悪い宇宙における原理が働いている。
 
 反対に、幸せになりたいのならば選べば良い。一時の夢と引き換えの死を。
 
 
 
 
 
 

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