自己紹介

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2012年5月18日金曜日

滅びと忘却と



 散歩にいく。街の灯で暖かく濁り、空を覆う雲が白く光った

 ∧∧ 南と北西は雷雲ですね
(‥ )
 –( ‥)バリバリゴロゴロ
     ぴしゃっと光ると夜の森が
     モノクロから一瞬だけ
     色つきに

 雲間を走るひび割れのような稲妻。こりゃあ、豪雨がくるか? そう思って走っていると、西空を上下にまっすぐ稲妻が走り、光と音がほとんど同時に、ぱりっ、びっしゃーんと鳴って大気が揺れた。

 ∧∧ 1km以内に落ちたのでは?
( ‥)
 –(;‥)雨が、雨が降ってくる

 走れ、走れ。残り100メートル、どざーって感じの中、駆け抜ける

 ∧∧
( ‥)びしょ濡れでないのは
    さいわい

  ( ‥)むしろ汗まみれなんで
    –□ シャワー浴びなきゃな

 さて、
 
 ネットで見て、最近気になった、風の谷のナウシカ、というかその最終回の解釈

 ∧∧
( ‥)原作では地球浄化計画と
    人類復活計画を主人公が
    破壊しておしまい

 ( ‥)あの最後って、人類絶滅確定
   –/ そういう選択肢だと
      解釈する人、意外に
      多いみたいね

 汚染された地球で生きるために、体を調整された人間、それが主人公達。

 ∧∧
( ‥)というか、そもそも
    そのことを作中の登場人物に
    突っ込まれているの
    ですよね

  ( ‥)マスクしただけで肌を
      毒ガスにさらして平気なの
      おかしいと思わなかった
      のかい?? ってね

 *毒ガス:原作でいう人造生態系、腐海が放出する瘴気のこと

 *実際、呼吸したら肺から血が噴き出る、そんな強烈な作用をするガスの中で、マスクしてればそれで平気、主人公達が大活躍、というのはなんともおかしな話で、まだ連載中に読んだ時には、「活劇における必要不可欠なストーリー上の嘘なんだろうけど、理詰めで考えるとおかしいよね」と知り合いと話したことがある。

 ∧∧
( ‥)でも、むしろその無茶ぶりな
    設定を使うことで、最後半に
    切り返してきたと

  (‥ )あれ読んだ時は
      ああ、やっぱこの人、
      すげーと思ったよ。

 毒ガスに肌をさらして平気=>実は汚染された環境で生きていけるよう、遺伝的に調整された人間です=>しかしそのため彼らは腐海によって汚染浄化が完成された環境では生きていけない=>衝撃の事実発覚。どうするどうなる!!

 *主人公たちは例えば現在の地球のように汚染がさほど進行していない世界では生きられない。死ぬ。当然、浄化が完了したら死ぬ。

 *汚染完了時に目覚める予定の人間の卵があったけども、それは世界浄化計画の管理人もろとも主人公によって皆殺し

 *普通に考えれば人類絶滅は必定。というかそういう解釈が意外に多いらしい


 ∧∧
(‥ )でも原理的には残された
\–   人類でも変異と淘汰があれば
     浄化された環境に適応
     できるでしょうね

  (‥ )そうだし、それが
      主人公が最後に言って
      いることだと
      思うのだけどね

 言い換えると、あの最終選択を見たときに、妙に思うことが2つある。

 ひとつは、あの最後は進化と解の探索であり、そして非現実的な計画からの解放である。とは考えない人がいること(人類はなすすべもなく絶滅する。なんであんな選択肢をとったの? という理解と疑問)

 もうひとつは、あの最後は結果的にはダーウィニズムのはずなんだけども、どうも作者の書き方、描き方からすると、進化に対する理解はむしろ今西進化論っぽい、ということ(例えばいくら人造生態系でも複数種で構成される腐海が全体として機能する単一の機械のように描かれている。生物でも生態系でもあんなことはありえない。生物はぶれや誤差がまったく生じない機械のようなものではない)。

 *注:今西進化論:今西錦司という日本人が考えだした、生物は種や全体を単位にして進化する、という発想。この発想は基本的に間違いで、論文を書くことに役立ったとは思えない、好意的に評してもかなりずさんな理論。ただ、日本では相当な影響力を持っていて、現在、50代ぐらいの研究者は、かつてこういう理論に汚染された老人に対して戦いを挑み、ようやく状況をまっとうにした、という黒歴史がある(今でも残党がいる)。

 どうも思うに、人間は目的と確定的な計画さえあればどうにかできると思い込んでいるらしいし、その思いは強烈なものらしい


 ∧∧
(‥ )でも、今の若い人に
\–   今西進化論とかいっても
     もう知らないでしょうね

  (‥ )現実の前に使えない理論は
      死に、世代交代によって
      僕らは過去を忘れ、しかし
      過去から受け継ぎ、
      アップグレードした理論を
      受け継いで、調整し、
      次に引き渡し、
      自身は忘却される

 残党が今でさえいるように、人は若いときに学んだことや味をしめたことに固定されて、逃げられない。

 ∧∧
( ‥)だからこそ、人は死に、
    選択肢は現実のテストによって
    淘汰、検証されるのでしょ?

  ( ‥)無数の死を積み重ねて
      ここまで来て、
      ここからいく、
      否定しようが困惑しようが
      僕らは全員、進化のプロセス
      にいて、解を見つける演算を
      している最中だ。

 ∧∧
( ‥)たとえ計画と目的論を
    破壊し尽くしても

  (‥ )さらに知性がなくとも、
      進化は答えを出せる。
      無目的と忘却はその
      基本要素だろうね

 理解できなくても、なぜ? と問うても、みんな自分が問うた”なぜ”の答えの中にいる。

 ああ、だから老人の皆さん。忘却を恐れるのは当然だが、嘆き悲しむことはない。若いものが老人を覚えていてどうする? 若者に覚えられて一体何とする? 

 そして現実に帰ろう。目的も集団もなく、果てしない個の闘争と確率に支配された世界、知性がなくとも答えを出せる場所へ帰還しよう。

 そもそも僕らはそこにいる。





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